未分類

風見慎吾 来年米国留学きっかけは欽ちゃんから娘への一言!を探る。

こんにちわ。歩美です。いい季節になりました。FB、九州絶景では優しく可憐なコスモスの情景が報じられています。晴天続きましたが今夜からお天気崩れそうです。

今日、風見しんごさん 来年から米国留学 60歳を機に きっかけは欽ちゃんから娘への意外な一言と報告がありました。

スポニチより引用

いわずと知れた俳優・タレントの風見しんご(60)さんが10日に公開された萩本欽一さんのYouTubeチャンネル「欽ちゃん80歳の挑戦!」にゲスト出演。来年米国へ留学することを明らかにされました。

風見しんごさん60歳になられたんですね。来年留学のお話し初めて知りました。皆さんご存じでしたか?その留学のきっかけは欽ちゃんから娘への意外な一言だそうです。この大きな決断のきっかけとなった欽ちゃんの一言気になります。

スポニチさんより引用させていただいたタイトル数十文字からも風見さんが萩本欽一さんに寄せる絶大な信頼、人生転換期に絶対的な存在であることが伺えますよね。

風見さんの事そして萩本欽一さん‼欽ちゃんとの友好なども一緒に眺めたいと思います。お付き合いください。

プログラム

1⃣風見しんごさんプロフイール

2⃣風見さん家族

3⃣風見しんごさん家族 現在アメリカで生活

4⃣みふねちゃん留学と欽ちゃんの一言

5⃣風見さん来年留学

6⃣まとめ

1⃣風見しんごさんプロフイール

1962年広島県生まれです。18歳の時萩本欽一さんに見いだされて芸能界へ入る!なるほど。。そうだったんですね。大御所、欽ちゃんとのお付き合い18歳から、、もう42年に及ぶお付き合いなんですね~

日本の俳優、タレント、歌手、ダンサーです。日本における『ブレイクダンスの先駆者』と言われているんですね。ブレイクダンスってストリートダンスの一つだそうです。ブレイクダンスの全盛期は1980年代。

1984年12月21日(この時風見さん22歳ですね~芸能界に入って4年です)に風見慎吾さん(現・風見しんご)が発売した曲『涙のTake a chance』でブレイクダンスを披露これを機に日本中に広まったとの説もあるようです。当時相当話題になったんでしょうね。

ブレイクダンス‼‼アメリカに行き猛特訓‼「踊りに歌がついてくる」これまで見られなかったパフオーマンスに世界から注目だったそうですよ。

1984年当時24歳の風間さんの『涙のTake a chance』ユーチューブ‼‼ありました!‼24歳の風間慎吾さん、激しい動き、回転!のブレイクダンスの姿見れました。若い!若い!少年ですよ!

ドラマ・バラエテイ・映画・舞台での活躍ぶりはもうご存じですね。「デビューから現在までレギュラー番組が途切れたことがない」という逸話の持ち主だそうです。風見さんデビュー時 私は子育て、3交代勤務でテレビ見ること少なかったのですがそれでも彼の存在知っていましたね。

1994年 歌手新井昌子さんと結婚二女のパパになりました。

2007年1月、長女えみるちゃん(享年10歳)を通学途中の交通事故で亡くすという悲しい体験をされています。交通事故の現場は自宅から出て100mほどの道を右に曲がり50mほど先の横断歩道だったそうです。えみるちゃんは青信号を横断中。ましてやこの道路は「スクールゾーン」に指定されしかもその時間は車両は進入禁止にだったそうです。

10歳の少女えみるちゃん、横断歩道を青信号で横断、スクールゾーン・車両進入禁止‼!これ以上どうすれば事故防げるの???ご家族、周りの皆さん 愛娘を一瞬のむごい事故で亡くした無念さは想像を絶するものがあります。

風見しんごさん、長女えみるさんとの思い出を「赤いランドセル」で語っていらっしゃいまね。ベストセラーになっています。書くことでしんごさん、自分の心の整理を考えられたのしょうか。えみるちゃんの名前の由来は「笑顔が満ちる子になってほしい」という願いを込めての名前だったそうです。言葉がありませんね。

又その翌年子供さん授かります。男の子だったそうですが死産という悲しい出来事が重なりました。

2⃣風見さん家族

妻尚子さん(55歳)1987年ミス日本を受賞ですよ~。スタイル、マナー、ふるまい最高でしょうね。娘さん:ふみねちゃん、子供さんはおひとりになりましたね。

『ふみねちゃんのお話があります』事故当時ふみねちゃん3歳だったそうです。両親はじめ周囲の大人がお姉ちゃん、えみるちゃんの死を悲しんでいることを感じ取りふみねちゃんは散歩中、名前を聞かれ自分の事を「えみる」と名乗ったそうです。「だってえみるがいれば大人は泣かなくなるでしょ?私がえみるになる」と口にしたそうです。

幼い身で必死に気使いをしていたんですね。両親ははっとしたそうです次女の苦しみに気付なかったことを詫び涙する風見しんごパパに対して「いい子、いい子。泣かないで」としんごさんの頭を撫でたみふねちゃん。その姿を前に夫妻は前を向いて歩きだす決意を固められたました。

3歳にして子供ってすごいですね。この記事読んでいて私も胸が熱くなりました。みふねちゃん今何歳になったかな。どんな子に成長してるかな?

3⃣風見さん家族現在アメリカで生活

2017年みふねちゃんアメリカのハイスクールへ留学しています。お母さんも一緒ですね。愛娘を一人で留学させることしんごさんには出来なかったんでしょうね。一人での生活にはしんごさん不便、寂しさもあるはず、でも愛娘を失った経験から一人になった愛娘を自身の不便、寂しさは二の次に妻、みふねちゃんをアメリカに送ったんでしょう。優しく大きな心のしんごさんの一端です。6年前からアメリカだそうです。

4⃣みふねちゃん アメリカ留学と欽ちゃんの一言

長女えみるちゃんの事故から2週間ほで舞台に立つことになったしんごさん。楽屋にみふねちゃんを連れて行ったそうです。座長の欽ちゃんにみふねちゃんが「舞台に出たい」と言ったそうです。これに欽ちゃん『じゃ英語ができるようになったらね❕英語が話せないと駄目な時代が来るから!』と答えたそう。

3歳の時の欽ちゃんの言葉ですよ!!! みふねちゃん欽ちゃんおじちゃんのこの言葉をしっかり胸に、忘れていなかったんですね。今、奥さんとみふねちゃんの日常会話は「英語です」としんごさん話されています。欽ちゃんの言葉の力、凄いし、それを大切に英語力!のみふねちゃん。奥さんもすごい、です。

大人の一言が人生を決める!人生を変える!夢に向かって前進する大きな力になるのですね。父である風見しんごさんの欽ちゃんに寄せる大きな信頼、尊敬それがみふねちゃんに伝わっていたんだと思います。

5⃣風見しんごさん来年留学

奥さんとみふねちゃんは6年前からアメリカだそうです。風見さん6年間一人暮らし。コロナ禍で全く会うこともできなかった。「今なら」と渡米を決断されたようです。

欽ちゃんは風間さんにとっては恩師なんですね。欽ちゃん70歳過ぎて大学に入られましたよね。私もすごいな‼と思っていました。欽ちゃんのそんな姿にも後押しされたそうです。欽ちゃんは「60の手習い、頑張れよ~楽しみだね。そう言う挑戦する人に仕事頼んじゃおうかな!とジョークを交えてエールをおくられたそうです。

18歳の少年風見しんごさんを見いだした欽ちゃん‼‼人を見る目の確かさ?でしょうか。これまでの大物に成長すること予想されていたでしょうか。見出してくれた欽ちゃんへのしんごさんの想いもあるのでしょうね。素晴らしい子弟愛がなんだかほんわか伝わってきます。

6⃣まとめ

★風見しんごさん、18歳で萩本欽一さんに見いだされ芸能界に入りました。22歳時『涙のTake a chance』でアメリカで猛特訓のブレイクダンスを披露話題となりました。『ブレイクダンスの先駆者と言われています。

★デビューから現在までレギュラー番組が途絶えたことが無いそうです。

★長女を交通事故で亡くすつらい経験をされています。。翌年子供さんあやかりますが死産という悲しい経験が重なりました。

★次女みふねちゃん、父親しんごさんが舞台に立つことになりみふねちゃんを欽ちゃんの楽屋に連れて行きました。「舞台に出たい」と欽ちゃんに言ったところ「英語ができるようになったらね、これからは英語が話せないと駄目な時代が来る」これが欽ちゃんの答えでした。6年前に留学、母親とみふねちゃんの日常は英語だそうです。

★えみるさん亡き後2016年20歳を迎えるはずだったえみるさんへの思い「桜のトンネル」出版されています。事故後の10年間を家族3人でどのように過ごしてきたのかを記していらっしゃいます。

日本全国で交通事故による死亡者を減らすため講演会や交通安全関連のィベント、啓もう活動もされていますね。

★風見さんアメリカ行っちゃうと寂しくなりますね。風見さん60歳!人生100年時代となりました。『セカンドライフ』賑やかです。今まで休む間もなかったしんごさんです。これからのセカンドライフにいろんな想いがあると思います。その実現のための『ゴールデンタイム』ですね。留学まで忙しくもなりますね。お体に気を付けお元気でスムースな留学となりますよう祈ります。

帰国されてのご活躍楽しみです。

最後までお読み頂き有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ABOUT ME
歩美
長~い看護師歴!総合病院で3交代の勤務の跡、区役所保健係で保健師さんと一緒に健康創りに関わってきました。人生100年時代「健康寿命を延ばす」が今しきりに言われています。26年前からウオーキング、ストレッチ、リンパマッサージ!継続!健脚、元気です。やりたいことやるには「健康が一番}をテーマに日々楽しく生きています。