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甲子園最後のジャッジ 三宅章介、勇退後の計画は?

今日は、歩美です。

『第104回全国高校野球選手権大会』決勝!!22日午後14:00~

下関国際高等学校 対 仙台育英学園高等学校の戦いです。勝利は?勝てばいずれも初の全国制覇‼‼数々のドラマ明日迄続きます。猛暑の中の球児の姿!!どれもこれも絵になる素晴らしいシーンです。

明日の決勝戦を控え両校の選手をはじめ監督さん 支えるすべてのスタッフの皆さんこの時をどう過ごしているのでしょう。

体調を整えベストで決勝戦に臨んでほしいですね。

今日の朝日新聞の13版 スポーツ欄です。

仙台育英 春夏通じ初制覇なるか 下関国際

の大きな見出し!!そして同欄に

『球際見極めた 共に55歳まで』の記事‼準決勝の第1試合で三塁塁審を務めた三宅章一さんの審判姿の章介さんと今はなきお父さんの三宅亨次さんの審判の姿が!!

親子2代❕甲子園の審判委員 親子で計50数年?

甲子園大会の功労者ですね。

三宅章介さん(55)がアマチュア野球の審判になったのは1992年‼だそうです。 30年前ですよね。章介さん25歳で始められたんですね。

55歳で勇退‼ お父さんも55歳で勇退だったと。55歳ってまだまだ今からの年齢ですよね。お父さんの時代と今の55歳は同じではない‼!速い時期での勇退だな、と思ったのが正直なところです。

年々気象状況にも大きな変化が見られ特に最近は猛暑‼!この猛暑の中での審判!!には私どもには解らない厳しいものがあるのでしょうね。

三宅章介さんが審判になったのにはお父さん亨次さんの影響がかなりのようです。

お父さん!三宅享次さん(2006年に70歳で死去)されていますが春夏の甲子園大会で28年間にわたって審判委員を務められたそうです。

延長18回引き分け再試合となった大51回の決勝戦で2塁塁審をするなど数々の名勝負に立ち会ったのが父、亨次さんだったそうです。

章介さんにとって夏休みと春休みは阪神甲子園が遊び場だったそう。お父さんの車で向かい一塁ベンチ上で試合を見たそうです。

御自身も野球をはじめ、智弁学園高、近大で野球部に所属。男の子って一度は野球に憧れますよね。野球の世界が身近だと当然かもしれません。

「審判になる」とお父さんに告げると「軽い気持ちでやるなよ」と言いながらどこか嬉しそうだったと。お父さんの用具を付け近大が所属する関西学生野球連盟の審判員がスタート。

甲子園大会に参加されたのが1098年、24年にわたっての、お父さんと2代にわたって52年になりますね。

お父さんは70歳で亡くなられています。存命でしたら86歳ですよね。お元気でしたら毎年息子の審判姿に目を細めるお父さんの姿があったでしょうね。

三宅章一さん 長い間の甲子園大会審判お疲れさまでした。暫くはゆっくりされて次なるプランに向かって進んでください。

55歳!!まだまだ今からの年齢です。勇退早すぎ!が私の本音です。今後は後輩の育成でしょうか。。。

私が審判員の記事に関心、注目したのには訳があるんです。実は私の夫、野球ではありません。公式ソフトボールの審判を長年やっています。審判の制服見慣れていますしつい新聞記載の写真に目が行ってしまいました。

夫は82歳になりました。大きな大会はもう無理です。ローカル戦担当‼!と言っていますがやっぱり好きなんですね。まだ縁を切る勇気がないようです。

8月初め❕猛暑でした。熱中症が心配でした。それも2日続けてです。帰宅したときはほっと、安心でした。

ところが反対に本人は猛暑の中、2日続けての審判が出来たことに自信をもってまだやれる!と思っているみたいです。

審判始めたころは子供も小学生でした。何しろ審判優先!!毎日曜日が審判!我が家は「母子家庭」でしたよ。

でも長年好きなことに打ち込めたこと、いちずになることに出合えたことは幸せだったと思います。

見慣れた審判制服の姿、審判委員の姿に関心、記事読みました。そして私にも関わりのあった審判委員への思い書かせていただきました。

三宅章介さんが御健康で更なる御活躍の今後を祈ります。

勇退後の計画についてはまだ把握できませんでした。

 

ABOUT ME
歩美
長~い看護師歴!総合病院で3交代の勤務の跡、区役所保健係で保健師さんと一緒に健康創りに関わってきました。人生100年時代「健康寿命を延ばす」が今しきりに言われています。26年前からウオーキング、ストレッチ、リンパマッサージ!継続!健脚、元気です。やりたいことやるには「健康が一番}をテーマに日々楽しく生きています。